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アメリカ合衆国の歴史 (1964-1980) : ウィキペディア日本語版 | アメリカ合衆国の歴史 (1964-1980)[あめりかがっしゅうこくのれきし]
本稿では1964年から1980年に掛けてのアメリカ合衆国の歴史を扱う。この時代には、アフリカ系アメリカ人による公民権運動が継続し、ベトナム戦争が深刻化してその反対運動が起こった。また冷戦が継続した中で、宇宙開発競争の結果として人間を初めて月へ送り込むことになった。 1960年代はその後の半世紀のアメリカ合衆国の政治を作り上げたと考えられている。2004年にビル・クリントンが「60年代を振り返って、悪いことよりも良いことの方が多いと思うのであれば貴方は恐らく民主党員であり、良いことよりも悪いことの方が多いと思えば貴方は恐らく共和党員だ」と言っていることで説明できる〔 Quoted in M. J. Heale, "The Sixties as History: A Review of the Political Historiography", ''Reviews in American History'' v. 33#1 (2005) 133-152 at p. 132〕。 == 公民権運動 ==
1960年代のアメリカ合衆国は街頭抗議、デモ、暴動、社会不安、反戦抗議、および文化の変革で特徴付けられる。アフリカ系アメリカ人の若者が法廷での公民権闘争勝利に続いて、マーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師や全米黒人地位向上協会の指導で街頭抗議を行った。しかし、シットイン、街頭抗議、非暴力抗議および訴訟は、人々が政治に不満を表明するための数少ない手段だった。というのも町の集会に出席して不満を表明する可能性は実質的に放棄されていたからである。公民権のような政治問題に関心がある人々は、町の集会への出席機会が最小であるだけに不満を表明する場を持たなかった。大衆の注目を得るためには、奇抜なニュースであれば短期間でも大衆の想像力を掴む可能性があったので、多くの活動家達は新聞の見出しに載るような突飛な行動を採る必要性を感じていた。キング牧師は大衆の意識に強く訴えるために非暴力を貫くアフリカ系アメリカ人抗議者に対する残虐行為の例を記録させるためにマスコミを旨く使った。長い間悪政の痛みを感じており、マスコミと共に世論を変えようという長いスパンの抗議行動を行い、また法廷で政策を変えようと動いてもいたアフリカ系アメリカ人、あるいはフェミニストあるいはホモセクシャルのような虐げられた集団があるときに、行動主義が政治的変化を旨くもたらした。 1963年にジョン・F・ケネディが暗殺されたことは、国内の政治変化を促す効果をもたらした。後継者のリンドン・B・ジョンソン大統領はこの状況に付け込み、国内の気運と彼自身の政治手腕を組み合わせてケネディの政策を推し進めた。その中でも特筆されるものが1964年の公民権法だった。さらに1965年の選挙権法によって、連邦政府、州および、地方自治体の選挙に直接の影響を与えた。この法が1965年8月6日に成立してから数ヶ月のうちに、25万人の黒人が有権者登録し、その3分の1は連邦政府の検査官によってだった。それから4年間のうちに、アメリカ合衆国南部の有権者数は2倍以上になった。ミシシッピ州では黒人の投票率が74%と最高になり、他州よりも多くの黒人指導者が当選した。1969年、テネシー州では投票率か92.1%となり、アーカンソー州では77.9%、テキサス州では77.3%となった。
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